浄土宗が、昔、人を識別したのが。

 浄土宗が、昔、人を識別したのが。ありのまま見れるかどうか。対象があるかどうかを見る。酷いことや、残虐なこと、嘘をつきすぎることをしすぎると、物をありのままに見ることができなくなる。すると、物事を修正する事が困難になっていく。だから、矢板市の木幡神社は、浄土の流れが昔あったとしても。今は信用できるかわからない。それは、木幡神社で本当に大切なのが、本社のはず。だけど、下の入り口近くの人の名前のある飾りが立派で。上の本社はボロボロ。逆に、本当に大切にすべき物が、大切にされておらず。自ずと、こういう神社が、対象がない。ありのままに見ておらず。どこかで、浄土の流れあっても、今は信用できるかわからない。逆に、近くの矢板市の塩竈神社は、雰囲気が良くて。慈雲の流れあっても、浄土の可能性ある。二つの顔に見れる獅子の置物が、隅っこに置いてあって、それが素晴らしかった。でも、それを表に出さないので、対象あるかまではわからない。でも、木幡神社よりも、塩竈神社の方が対象あるのは確実。

対象がある方が酷いことをしておらず。ありのままに見れる傾向。色彩感覚と似ている。

多分、作るのはハードル高いので、見れるかだと思う。ありのままに見れるか。嘘ついたりするか見られる。

あと、裏切った人が、引き返せるかも。対象あるかどうかで見られると思う。

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